バレーの写真を撮ってうpしてよかったこと、よくなかったこと。

初めてバレーを観に行った日の写真があるということは、最初からカメラを持参していた、ということになるわけで。何を考えていたのか、今となっては思い出せませんが、「テレビで見ているあの選手を撮ってみたい」という、純粋なミーハー心だったのでしょう、おそらく。

1999年から2005年ごろまではフィルムカメラを使っていました。その後、試合観戦の機会が減り、写真も撮らずにいた時期を経て、2012年ごろからデジタル一眼を持つようになりました。
05年まで、写真はほとんどウェブに上げてなかったのですが、2012年以降はSNSや写真共有サイトにアップロードしています。

写真を撮ることと、アップロードすることは、つながっている部分もあるけれど、根本的には別の行為だと考えています。それぞれやってて、よかったこと、よくなかったことを、少し挙げてみます。

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何といっても、写真が残ること。
試合会場で起きたことを何らかの形で残すには様々な方法があります。自分の記憶に刻み付けたり、文章で表現したり。それぞれ長所がありますが、「画」が残るというのはやはり力強い。文章では表現しきれないことでも、一瞬でわかる可能性がある。
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あと、収集趣味と似た部分があるのか、ある場面を切り取る行為そのものが楽しい。贔屓選手のかっこいい表情が撮れた、負けたチームの沈痛なムードが撮れた、場面の中身の感情はともかく、しっかり「撮れた、残せた」と思えたら、それが嬉しい。

【写真を撮っててよくなかったこと】
画というのはやはりすごく強いものなので、記憶が引きずられるのはどうにも避けられない。そもそも、写真は客観的なものではなく、撮る時点で自分の「こう撮りたい」という意思に影響されるものだと思います。その瞬間に対する、己の解釈がそのまま残って、試合後何度も目にすることができて、刷り込まれていく。写真にない情報をどうしても忘れてしまう。
どうせ認知の時点で歪んでいるのだから、抜本的な解決方法は無いのですが。

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反応がもらいやすい。というか、ほめてもらいやすい。
「いやー上手く撮れたわー」って自画自賛が、「素敵な写真ですね!」という他者からの賞賛に変わるのは、すごく嬉しいことです。ハードディスクの中に入れておくだけでは、絶対に起こり得ない。写真がコミュニケーションのきっかけになることもあります。
それと、接点のない被写体側に写真が届いて、喜んでもらえていると伝え聞くと、純粋にありがたいことだなと感じます。

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「もし、この写真が被写体に予期せぬ不利益をもたらしたら、どうしよう」という警戒心はあります。
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自分がオープンにしている写真で、被写体を不当に貶めようとする意図のものはないです。ただ、自分の手から離れてしまったものは、コントロールできないわけで、誰かがこちらの想像もしないような、悪意を絡めた使い方をするかもしれない。その懸念は常にあります。その時の責任はどうとるのか、と。
自分自身にとって直接良くなかったこととしては、ほめられたい欲求と嫉妬心とのお付き合いが始まったこと。他人と同じ行動をとれば、比較が可能になります。TwitterならFavやRTという、実にはっきりとした数字でその差がわかる。自分が好きだから撮るのか、ほめられて嬉しいから撮るのか、その境界線はとても曖昧。「あの選手の写真なら、あんな程度でも本人にほめられてFavがつくのに」という嫉妬も顔を出す。その辺、無駄に消耗してるなという自覚はあります。

トータルではどちらも「よかったこと」の方が大きいです。しばらくは撮って、アップロードするつもりでいます。

 

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